多摩川で錦鯉を見つけると膝を痛める
そいつを見つけた瞬間は驚きで、固まった。
多摩川を散歩する回数が他の人よりも、圧倒的に多い私が驚いたっていうことは相当珍しいことだ。
そいつを見つけて驚いた後は、
「近くで見てみたい!」
いてもたってもいられない私は走った。けど、膝が痛いからすぐに走るのをやめた。ここまでは順調な青い春のような小説だったが、ここでおしまいだ。
それは膝が痛いからだ。
現実はそんなものだ。痛みには勝てないのだ。ということは、そいつよりも痛みを優先したことになる。
天秤にかけてしまうと、私の思いとのバランスがとれていない。
これは困った。
でも見たいことには変わりないのでやや早足で現場近くに向かう。
それぐらいの気持ちがあった、そいつへの記事。
現地はここらへんです
現地が川の中になっているが、しっかりと歩ける場所だ。
近くで見たいのだ
多摩川の中州だ。ようやくここまで来れた。が、走った時に膝を負傷したことで、河原の石が直に響く。それでも私は歩みを止めない。
ここらへんだったはず。
もうすぐそいつの近くまで行ける。橋の上から見つけた時はそいつが息をしているのかわからなかった。動きがなかったのだ。もしかしたら死んでいるのかもしれない。もしそうだったら、供養するよ。
いた、すぐに遠のいた
あ、逃げられた。生きとるやんけ。
(カメラのシャッターは適当で、肉眼で探していた写真)
いたー!
反対側の岸に行ってしまった。それはないよー!
せっかく膝を痛めて河原まで来たのに、せめて肉眼で肉眼でー!
肉の眼で!ニクノガン!
ニ・ク・ノ・ガ・ン!!
捉えたー!もう私は満足だ。
魚の気持ちを考えてみた
少し落ち着いてから(私が)考えた。魚の気持ちを。
これは本当に迷惑極まりないことだ。体重80kg程の人間がのっしのっしと近づいてくる。自分のことめっちゃ見てくる。口を開けてアホ面で目を輝かせている。
気持ち悪いなー、なんだよー、とりあえず離れるか。
そう、魚からも私は魚のようにに見えているはずだ。自分の行動を振り返ればかなりのアホ面だ。
それでも諦めきれなくて、大急ぎでスマホカメラをフルにアップしたのがこちら。
よく撮れてる。
膝の痛みの行方
多摩川では珍しい、赤と白の錦鯉だ。
私の記憶が知る限りだと多摩川で見るのは初めてだ。多摩川ではドブ色の鯉しか見たことがない私。はしゃいだ。喜んだ。
この喜びを味わっている間は膝の痛みが無かった。そう、アドレナリンがどぴゅどぴゅと溢れ出していたのだ。
錦鯉に会えたことで膝の痛みはこの間に消失していた。
ようやく、ここで私の身体と心のバランスが保たれた。
多摩川で錦鯉に出会えたことで膝の痛みを消してくれた。
きっと補助系魚類だ
美しい。
膝の痛みを消してくれた錦鯉。
もしもダーマ神殿に行くことになれば、僧侶にさせよう。
そして、回復魔法を覚えさせて魔法使いに転職させるんだ。
僧侶と魔法使いを極めたら、賢者になるんだ。
そして、フバーハとベホマラーを駆使してもらうんだ。私が好きな補助系呪文だ。
いつか、ゲントの村で会おう。
私は主人公のつもりだ。
GIANTショップの下はインスタ映えすると期待。夜に限る
芸能人に恋をした順。
そう、童顔が好きなのだ。あのフワフワした感じが好きだ。
宮﨑あおいが結婚したことが何の関係があるのか。
別に関係はない。
ただ、宮﨑あおいが結婚したことは事実だ。
宮﨑あおいが好きなのも事実だ。
でも、結婚した。再婚でも何でもいい。
とりあえず、その事実だけは残しておこう。
ちなみに本日は新手のデートスポット紹介の記事。
ちなみに、本日の記事に宮﨑あおいは出てこない。
現地はここらへんです
天然だ。2つの意味で
「うわ、これはキレイだけど地面に直接書いてるじゃんけ」
最初これを見た時は驚いた。
そう、私は色弱の天然(脳)なのだ。
本当に驚いてしまったけど、こういう時に色弱は他の人よりも驚きと喜べる機会が増えるんだなー、って建設的な考えを持てた。
つまり、私は色弱になっても損になったことが無いのだ。
黒色と緑色の区別がつかないことが時々あるくらいだ。
銭湯にも入れるし、コーヒーも飲める。それだけでも充分ではないか。
しかし、色弱は職業によっては採用面接を見送られることがあるとニュース番組でやっていたので、学生の方は念のため受診してもらうのも良いかと思う。
影のインスタる
これ、影なんだよね。
こんな奇麗に映ることもあるんだなー、と。感動する。泣いてはいないけど感動はした。こう、足下からゾワゾワーっていう感覚。興奮の度合いでかなり高い時に起こる状態。それはもう感動の上位だ。
その素敵な影を作っているのがこちら。
自転車屋のおかげ
GIANTショップである。
数年前に作られた自転車屋だ。店の屋根も縁が丸くて可愛らしいのが特徴。二子橋を渡る時じゃないと屋根は見られない。
この店が暗くなると店内の光が土手に差すのである。その光を受けた木々が地面を照らしてあの素敵な影が出来るのだ。
角度調整すれば具合が良くなるよ
ただし、光の入り具合によってはボヤーっとする影になるので角度調整は大事。
コツは無い。自分で探すのみ。
ここらへんから狙いを定めて……
こうだ!
これは私の影が入っているから映えない。
インスタえないのだ。インスタるためには繰り返し角度調整をするしかない。
通行人に笑われても地面に絶えず目を向ける!
それぐら頑張らないとインスタえないのだ!
インスタるためには恥を捨て、いいね!を貰う為には、泥を被る!
RTをされるためにキャッチーな写真を追い求めるのだ!
それでこそインスターなのだ!
こう!
一部分にフォーカスさせたほうがインスタえる。全体ではなく一部を撮るのがインスタるポイントだ。
たぶん。
これも良い!
木の先端の一部が良い。それと数枚の葉っぱがインスタる時に食いつきそう。
たぶんね。
雰囲気で善し悪しを判断しているもので。
“GIANT”のロゴが微妙に写っている。
惜しい!
アナ雪のツリーも素敵だけど、こちらも素敵だと思う。
これも実は影なんだよね。だまし絵みたいだ。
アナ雪のツリーに飽きたらこちらもあるよ。
もしも、人混みが苦手な方はこちらのGIANTショップ下のところでインスタるのもいいと思う。
密かなデートスポットとして流行らないかな。インスタ映えとして上手い人がどうにかしてー。
ここ、大事
ちなみにこの右下の橋脚ではチュッチュしている方の頻度が高い。いや、まじで。
二子玉川公園下でネコ電波を受信する
周りが見えなくなるということはよくある話だ。
好きな人が出来た時に夢中になる、
仕事が楽しい時に夢中になる、
勉強に励んでいる時に夢中になる、
何か自分にとって夢中になるものは時間を気にせずに没頭してしまう。食事を摂ることさえも忘れてしまうくらいに。
本日はそんな夢中になる記事。
現地はここらへんです
イヤホンを付けながら散歩をする
外を歩く時はイヤホンを耳に装着してラジオを聴いている。インターネットラジオだ。ポッドキャストでも呼び方はなんでもいい。
ラジオはMCが話している内容を聴くものだ。バックグラウンドミュージックが無いラジオだとヒトの声しかイヤホンからは流れない。
音楽はどうだろうか。
音楽はギター、ベース、ドラム、ボーカル、色んな音が混ざり合う。その曲が終わり、次の曲に入るその間でしか無音の時間はない。
微々たるものだが、音のボリュームが少ないのはラジオだろう。
私はMCの話している内容を聴きながらも歩いている時は周囲の様子を注意しながら歩く。
音のボリュームは音楽よりも少ないが、念のためだ。
怪我をしたくないから。
痛いのは嫌いだ。
音が遮断される時がある
しかし、注意しているはずなのにその注意力が減少および滅失される場面が私にはある。
それはアンテナみたいなものだ。ビビッと身体が反応する。
そのアンテナが反応した時、イヤホンから流れる音声が耳から入ることはない。脳に届かず理解することさえしない。音が消えてしまうのだ。蓋で閉まっているのだ。
イヤホンをしているのに蓋をしているっていうのは可笑しい話をしているが、本当に起こり得るのだ。
恐らくだが、そのアンテナが反応した時に自分自身でそのようにしているのかもしれない。自分から音を閉ざしてしまう。音よりも大事なものがある。
注意力を失った私は、背後に迫る自転車に気付かないでぶつかることも稀にある。
そこまで夢中になってしまうものがある。
それは突然、やってくるのだ。
しょうがないんだよ
ほらー。
いたよー!
こっち見てる!
お邪魔だったのかな?
それとも私と遊びたいのかな!?
シンメトリーな柄で素敵!
ヒゲの白さが際立っていて最高!!
耳がぴーんとしているよ!!!
なんて奇麗な瞳をしているんだ!!!!
そっぽ向いてカメラが嫌だったのかなー!
ごめんねー!!
また会いましょうねー!!!
ということだ。
上野毛自然公園の落書きは野球の人であってほしい
私はクリスマス会に向けて検討をしている。
上限が1,000円のプレゼントを用意してほしい、とのことなので真っ先に消耗品が良いと思った。その中で最初に挙がった私の用意するプレゼント候補は『布巾』か『塩』。
本気で真面目に考え、この2つで悩んでいたので妻に相談した。
「どちらもやめたほうがいい」
そうかなあ。だめかなあ。
ちなみに本日の記事には『布巾』も『塩』も出てこない。
現地はここらへんです
二子玉川駅から非常にアクセスが良い。穴場だ。
上野毛自然公園という閑静な公園
ここはあまり知られていないのか、人がほとんど見られない公園だ。
人が見られない理由としては、子供が遊べるような遊具は無い。ちょっとした池のようなものはあるけど、生き物などの観察には良さそう。
私のオススメは階段。どの階段がオススメなのかは、行けばわかるはず。
公園入口の正面にあるのがベンチとテーブルだ。
ベンチには一脚で3人までだったら座れそう。なので3脚あるから9人までは座ることが出来る。
ご存知の通り野球は9人でやるものだ。1チーム分なら用意できる。
しかし、9人ぴったり集めるものではない。補欠が必要だ。そう、このベンチはベンチ要員のベンチなのである。ということは、ベンチにはベンチが座る。このベンチに座るのはベンチだ。
もし、私についてこれないなら、ダイヤのAを読んでほしい。私はあの漫画を読んで野球の面白さを学んだのだ。
というより、私のブログよりも見るべきはダイヤのAである。
落書きが目立つテーブルだ
このベンチに座ったのなら、ぜひ見てほしいのが落書きである。
野球の美文字と思い込んでいる
奇麗な字だ。
“美”
美しいプレーを
“夢”
夢は甲子園
“敬”
鈴木「先輩を敬え」
そうか、やはり野球の落書きなんだな。間違ってなかったみたいだ。
その他にもある
鰹のたたきを食べた人もいるのか。
公園で何を食べても自由だ。自然なことだ。
今の日本を悪くしているのは
政治家だ!!
政治家の人はこれを読んでくれているのだろうか。
×××××
もっと思×××
持って
増して欲しい
株とかFXとかビットコインとかやっている人かな。
余剰資金でやるように、とブロガーが言っているぞ。
私は草コインに興味がある。やらないと思うけど。
遊び心ってやつ
ちょ、待ってくれ。せっかくの野球への気持ちが伝わったのになんだこれは。
“心”の上のハートマークはなんだ。
心を心臓と掛けてのハートマークっていうことはわかる。意味はわかる。
しかし、せっかく野球の力強さを見せてくれた“美”や“夢”や“敬”の文字はどうするのだ。
あれか、遊び心も大事ってやつか。ほら、遊び心にも“心”が入っているし。
なんだかやられた気分だ。一本取られてしまった。参ったな。
建造物損壊罪が適用される場合には5年以下の懲役、器物損壊罪が適用される場合には3年以下の懲役又は30万円以下の罰金もしくは科料が科されます。
また、「バカ息子」「バカ」という言葉を書いたことについては、侮辱罪(刑法231条)が適用されます。
引用元:https://legalus.jp/criminal/property_destruction/ed-664
※落書きはダメ。侮辱するような言葉を使った場合は侮辱罪が適用されるらしい。
多摩川に井戸があるのをご存知だろうか
井戸って見るとテンションが上がる。井戸を見つけると「井戸だ!」と、必ず言う。別に言葉にしなくてもわかっているのについつい「井戸だ!」って言わせる井戸って魅力的だ。
というのも、私は井戸に触れる機会が少ない世代だ。いや、世代というよりは育った場所に井戸がなかったからなのか。だから井戸を見つけると嬉しい。
本日はそんな井戸の記事。
現地はここらへんです
犬にバフされた
この写真を撮影している時だ。私の背後ではちょうど柴犬が飼い主からリードを解き放たれて駆け回っているのだ。
その柴犬は私を見るなりピタッと静止する。
そうか、私と遊びたいのだな。我が家にも犬がいるので、犬の可愛がり方は得意だぞ。
腰を落として、「ん?」の準備をする。
この「ん?」という表情は人間に対して見せると、あまりにも臭い顔なので犬にしか見せない顔である。
「ん?」を使う時のポイントは目を少し大きく開け、顎を上へ軽く突き出すのだ。
「ん?」と発しながら上記の動きをすると私の伝えたい犬にもってこいの「ん?」顔になるのだ。
話を戻そう。
静止してじっと私を見ている柴犬にとびっきりの「ん?」を披露して見つめ返す。
「バフッ!!」
それは、中川家の兄ちゃんが吠えるのを途中でやめるやつじゃないか。
そのまま柴犬は飼い主の元へ戻る。
「ん?」のやり損だった。
本日は井戸の話だ
そう、この多摩川にも井戸があるのだ。
存在は耳にしていたのだが、見るのは今回が初めて。多摩川はすぐ側にある。わざわざ河川敷に井戸を掘るってどうしてなんだろう。
地理からの考察
この写真の先には砧下浄水所がある。取水塔がこの井戸と浄水所の間、土手に存在しているのは把握している。
あくまでも予想だが砧下浄水所からの水がここの井戸にまで流れているのではないのか。
この予想においては何一つの根拠が無い。私の予想である。予想はそれっぽく書くと真実に聞こえてくることもある。
そして私は浄水所が何の役割を果たしているのかも知らない。
取水塔っていう言葉からは葛飾ラプソディーしか思い浮かばない。
私は何も知らないのである。
わかることもある
やっぱり井戸だ。井戸はいいなー。
水を出すための棒、支点・力点・作用点の具合がいいなー。
手作り感のあるタイル張り。
のめません。
ここまで主張すれば飲まない。これは飲用水ではない。
それぐらいは私にもわかることだ。
めません。
めない。これはめないのだ。
この井戸は『のめません』と『めません』から出来ていることがわかる。情報力は大事だ。これぐらいなら私にもわかる。
井戸の小川の先に何があるのか
井戸から放水した水は小川になっている。小川の先には何があるのかはわからない。
私は足が痛くなってしまい、何があるのかを調べるのを面倒になってしまったからである。放棄したのだ!
多摩川の水の流れに逆らうように作られた井戸の小川。同じ方向に水が流れていないと少し気持ちが悪い。
深いとこまで掘り下げて考えてしまう、井戸だけに。
なんだこれ。
子供との遊び場におすすめ。
吞川緑道の始まりか終わりの場所で鶏の股がそよぐ
玉川通り(国道246号線)は基本的に自動車で利用することが多い。
なので、国道沿いを歩く機会って少ない。台風で田園都市線が止まった?のが5年前くらいにあった気がした。その時は玉川通りを歩いて帰ったけど、帰るのに夢中でひたすら真っすぐ前を向いて歩いていた。
本日は真っすぐ前を向かないできょろきょろした記事。
現地はここらへんです
吞川緑道の始まりか終わりか
道ってどちらが始まりなのか論争ってあると思う。正式な手続きを踏めば始点と終点を決めるんだろうけど、その時って村同士の揉め事が凄そう。この吞川緑道も揉めたのかわからないけど、そもそもどちらがどっちなのか一体どうなのか。ちなみに読み方は『のみかわ』である。
こうあってほしい『吞川』の由来(私の願望)
『吞川』の由来は川沿いに赤提灯が連なっていて、毎晩そこにはサラリーマンが多く賑わっていた。そこで酔っぱらったサラリーマンは川に誤って飛び込んでしまう。飛び込んだサラリーマンは川の水を飲んでしまう。
するとサラリーマンは、
「なんだこれは。この水はうまいぞ」
「うまい、うますぎる、みんな!この川の水は酒のようにうまいぞー!!やったー!!!ばんざーい!!!!」
そう、ただの酔っぱらいの茶番である。
※本当は飲めません。
でも、これくらい阿呆な由来だったらいいのにな、と。昔の人なんてデタラメなエピソードがたくさんあるから。いますぐに思い出せないけど。
ニワトリだと思う
車を運転している時にはここに像があるなんて気付かなかった。
ニワトリが羽根を広げているのだ。像になったニワトリだ。ニワトリの像である。動物が混じっていてややこしい文章になってしまうが漢字が違うので気を付けてほしい。私は正しいことを伝えているのだ。ニワトリが像になっているのだ。
そして、お巡りさんはあそこで待機していることを覚えておいて損は無いと思う。私は覚えた。
相場ではカラスかハトなんだけど
どうしてニワトリなんだろうか、私の経験上は都内で鳥といえばカラスかハトだ。
ニワトリの理由があるはず。ひょっとして数十年前はニワトリを飼っている家庭が多くいたのか。朝採れの卵を茹でたり、焼いたり、TKGしたり。そうだとしたら最高だ。生みたての卵が美味しいのかはわからないけど、卵が有限に出せるニワトリを飼うと愛でてしまう。
最終的に卵を産めなくなったニワトリはどうするのか。きっと食べてしまうのだろう。
そこには愛情が芽生えているはずだ。しかし、食べてしまう。人間は食べることで生きられる。「いただきます」は「命を頂きます」が語源とも言われる。何もおかしなことではない。愛情が芽生えるのも、ニワトリを食べることも当たり前の感情なのである。
そうだ、もうじきクリスマスではないか。ケンタッキー、ななチキ、ファミチキ、Lチキ、サラダチキン、今年もyoutuberが忙しい季節だ。
そして、そよぐ何か
手羽鶏を食べる時って皆さんはどうやって食べるだろうか。
私は身の厚い部分から持ち手の部分も全ての身を食べる。そして、関節部位の軟骨も食べる。軟骨はオマケだ。このオマケは食べても食べなくてもいい。オマケだから、それをどうしようと私が決めることだ。
しかし、この股の間にあるオマケは頂けない。
そよいでいる。この日は微風だった。
吉沢橋のお澄ましな猫
猫を見つけて、人目を気にして、大丈夫そうならスマホカメラを起動させる。
しばらく猫と目が合って逃げなければカメラで撮影をする。驚かしたら可愛そうだから。猫はいいよー。
現地はここらへんです
吉沢橋は関東大震災直後の1924年に玉電・砧線の開通に合わせて掛けられた鉄道橋。
砧線は交通手段としてだけではなく、多摩川の砂利を運ぶためのにも活用されていた。
その後、車社会となった経緯もあり、玉電の路面電車は世田谷線を除き廃止された。
廃止後は道路橋とされて今日に至る。
野川の河川改修と合わせて上流の新吉沢橋と吉沢橋を統合し、新しい吉沢橋に架け替えた。
※吉沢橋の石碑より引用
吉沢橋の近くの猫
この猫は人慣れしている猫。
その場から動かない。目の前を通過する私の足下を首だけ動かして追う。
猫の前を通過して振り返ってから猫を凝視する。
視線に気付いたのか
ジーッと猫を見てたら、向こうから寄ってきた。
私と目は合わせてこない。植樹に頬擦りしながらこちらへやってくる。ひょっとしてメス猫なのかな。私をオスとして見ているのか。その仕草はアピールしているのか。にゃんにゃんアピールをしてくるのか。
女性らしい仕草で猛烈アピール
そんなところで立ち止まるのはひょっとしてあれか。
花の匂いを嗅ぐところを私に見せて、花の匂いを嗅ぐ私は女性っぽいでしょアピールをする再現ドラマでよく見るやつだな。再現ドラマでは麦わら帽子を被ったワンピースを着た女性が、夏の日差しが差し込む中の所作だな。
しかし、そちらは猫で私はヒトだ。そもそもだ。その匂いを嗅いでいるのは花ではない。葉っぱだ。葉っぱの類で匂うのはミントかパクチーだ。
大人なお澄まし感
全くこちらに関心がないかのように、そっぽを向きながら歩み寄ってくる。
思わせぶりな猫だ。私が猫を好きなことは最初の熱視線で気付いていたのか。そこまでお見通しの猫なんだな。やり手の猫だ。さては遊び人だな。
私から声を掛けるのを待っているかのような、待ちの姿勢がなんとも大人びている。余裕だ。余裕な猫だ。
着やせタイプの猫だった
太っているな。太っている猫だ。デブ猫だ。余裕のデブ猫か。やり手の余裕のデブ猫だ。お見通しのやり手の余裕のデブ猫。
正面からはそんな風には見えなかったけど、着やせタイプの猫だな。
ぽっちゃり系もジャンルとして確立する時代。深田恭子が2017年の美しい顔に選ばれたニュースがある。私のイメージではぽっちゃりタレントは深田恭子さんか、磯山さやかさんだ。
なので、デブ猫の立ち居振る舞いは正しい。美しい顔は無条件で良い。何の話をしているんだ。
デブ猫だけど後ろ姿も素敵だ。
また素敵な猫と出会った。野川沿いはデブ猫の散歩コースなのか。やはりセンスのあるデブ猫だ。
今更だけど、メス猫なのかな。
丸まっている姿が一番好きだ。この猫とは最後の最後まで目が合うことはなかった。
台風後のロールケーキから水害の怖さを知ろう
ロールケーキはクリームをスポンジ生地で巻いたものをロールケーキという。
メリットとすれば、
- スポンジ生地のふわふわした食感を味わえること
- TPOもあるだろうけど、手で摘んで食べやすい
デメリットは、いまのところ思い浮かばないから最強のスイーツなのかな、と極端な想像をした。デメリットが無いって凄くないか?本日はロールケーキの話。
現地はここらはらへんです
先日の先端の記事の近く。
台風の後遺症は残っている
10月下旬の台風は記憶に新しい人が多いと思う。
兵庫島公園は台風になるとテレビレポーターが集まって、凄まじい増水の様子を中継する。正直、そこまでやる必要があるのかどうか思うけど、ニーズがあるから体張っているんだろうなー、と遠目から見てしまう。
今年は1週間程しか間隔を空けないで連続の大型台風がやってきた年だった。
駆け抜けては去り、そしてまた駆け抜けては去る。
夏の多摩川花火大会も中止になり、河川敷難民みたいな映像がtwitterのタイムラインを埋め尽くした。
そしてロールケーキが誕生した
多摩川産ロールケーキの出来損ないがこちら。
中途半端すぎる。パティシエは途中で放棄してしまったのか。
地面がチョコレート色。そうすると緑色の草はなんだろうか。抹茶とでも呼ぼう。もはや、そんなものを誰が食べるものか。
ロールケーキから知る、台風の怖さ
この土が盛り上がっている側が多摩川の下流方向だ。地面がえぐられているのが上流方向。つまり、川の流れを地質から読み取れるのだ。
ここまでになるには相当の水流と水圧が必要だと思うと、本当に台風の日は恐いもの見たさに多摩川へ来るものではない。
私は小さい頃、ベンチになるような巨大な丸太が多摩川で流されているのを見たことある。野毛の丸太の2倍くらいの太さと長さだった。子供だったけど、水害は怖いと思った。
実は1つではなく、3ヶ所もあった。
こんだけ巨大なロールケーキだったら食べたいとは思わない。しかし、出来上がるまでには相当な台風の水害を予想する。
なので、見たいとは思わない。美味しそうじゃないし食べられないしね。
あれから2ヶ月も経過したけど、巨大な木の根っこや、黒くて円柱型のトンネル様のものなど色々と河川敷に漂着しているがそのまま残っている。まあ見ている分にはこちらも珍しいから楽しめるけど、河川敷を管理している人からすれば大変なんだろうな。
丸正浴場の向かいにあるコインランドリーとおばあちゃんの話
散歩していてたら煙突が見えた。時計を見て時間を確認する。最低でも私は1時間は銭湯に滞在したい。
現在は時間に余裕があるような無いような生活を送っているけど、今日は銭湯に入りたい。時間はまだ14時45分。銭湯の開店時間は15時が相場だ。
いい時間だ。少しだけ待つか。
現地はここらへんです
二子玉川駅からは玉堤通りを東名高速道路方面へ歩く。都道11号線との二股にぶつかったら都道11号線沿いへ歩く。最寄り駅は小田急喜多見駅だ。
コインランドリーと銭湯の組み合わせ
コインランドリーと銭湯。この組み合わせは必ずといっていいほど見る。それは銭湯に入っている間に洗濯を済ませようっていう銭湯経営者の計らいなのか、それとも銭湯利用者からの要望があったのか。実際のところはわからないけど、この組み合わせは昔からそうだ。
コインランドリーに椅子は付き物だ。それと、何年前かのジャンプがあると暇つぶしには最高。
銭湯が開くまで10分程だし、コインランドリーで待たせてもらおう。
銭湯の好きなところ
私は銭湯が好きだ。
大きな浴槽で足を伸ばせるのが銭湯の好きな理由の一番だ。昨今は銭湯ブームもあり、インターネットでは銭湯ネタが豊富。特に銭湯神ことヨッピーさんの交互浴の記事を読んだ人は多くいると思う。私も交互浴支持者だ。
身体を芯まで暖めてからの水風呂。「ととのったー」と、あの感覚。やったことないけど、麻薬みたいなものなのかな。私はキメたことはないけど、整う感覚に近いものなのかな。それくらい交互浴は気持ちの良い入浴法だ。水風呂は中毒症状があるよ。
大きな浴槽で風呂に浸かれること、交互浴をすること。これだけで充分幸せを感じれる。それくらい銭湯への思いはある。
おばあちゃん現れる
私は写真奥側のベンチに腰掛けた。本を読んでシャッターが開くのを待機する。
しばらくすると、80歳を超えているであろうおばあちゃん2人組がコインランドリーに入ってきた。そして、写真手前のベンチに腰掛けた。
二人とも似たような服装だ。ユニクロのウルトラライトダウン(赤紫色と黒色)、スラックスズボン(灰色とベージュ)、靴ひもが付いていない黒いスニーカー、暖かそうな毛糸の帽子(紫色と灰色)。パンパンに膨らんだ紀伊国屋のエコバッグを抱えている。あの中にはあめ玉と着替えが入っているんだろうな。
銭湯の利用客で間違いない。そして常連だ。
会釈をする。そうしたら2人とも会釈を返してくれた。そして私は再び、本を読む。
しかし、2人の談笑している様子が視界に入るし、距離が近いので話し声も丸聞こえだ。
「◯◯さんおそいねー」
「死んでんじゃないのー」
笑った。
第一声でボケをかますおばあちゃん。セオリーがあるなら漫才師は挨拶から入るもんだけど、いきなりぶち込まれてきたのでつい声を出して笑ってしまった。もうおばあちゃんのボケをかますって文章的にも混乱を招いてしまうが、おばあちゃんがボケたのである。
私の笑い声が聞こえたようで、お互いに目が合う。
念のため、これは恋愛の話ではない。
「ひょっとしてお風呂ですか?」
ほぼ間違いないのに、「ひょっとして」とか使うところが白々しい。けど、ひょっとするから私は使ったのだ。
「そうだよーお兄ちゃんも入るのかい?」
それから銭湯の料金の話や、最近は銭湯に若い人も増えてきたけどお兄ちゃんみたいに銭湯が開くのを待っている人は初めて見たとか、5分くらい喋った。
するとおばあちゃんが気を良くしたのだろう。
「兄ちゃんこれあげる」
受け取っても使えないのに
入浴券だ。
写真の左上に記載されている『転売・譲渡不可』の文字。目を通したけど、これは受け取れないな。
おばあちゃんに返そうとするが、ショッピングバッグを盾に断固として受け取らない。なんだその守備力は。というよりも盾なのか武器なのかわからないくらいバッグを振り回し始めた。
80歳超えはどんな物でも武器や防具に変えてしまうことが出来るのか。それが世田谷マダムの実力なのか。
「いらないいらないいらないいらないいらないらないよー!」「シーだよ、シー!!」
このやりとりを続けても埒があかないと思い、諦めた。
おばあちゃんは、
「知らんぷりして出せばいい、460円浮いたお金でビール飲めるよ」
ガハハと、笑っている。
入れ歯落ちるぞ。
苦笑いで返すと、銭湯のシャッターが開いた。おばあちゃん2人は風呂に行ってしまった。
区が発行しているものは転売・譲渡禁止が付き物だし、生活福祉課が担当ってことは高齢者や生活支援を目的としたものなんだって予想がつく。
※実際に調べたらそうでした。入浴券の支給 | 世田谷区
困った。風呂上がりに返したいけど、おばあちゃんがいつ風呂からあがるかわからない。
番台に依頼して返してもらうことも考えたけど、おそらくおばあちゃん2人組は常連だし後々のことで面倒になってしまったら申し訳ないし。
私はちょうど本を持っていた。
ちょうど持っていた本に栞が付いてなかったのでその場で栞に変化した。
入浴券は使うことが出来ないので、読んでいた本にちょうど良かった。
おばあちゃんの暖かさが身に染みた。
これから交互浴をするというのに、優しい気持ちでほかほかしてしまった。整いはしないけど、充分なリラクゼーション効果だ。
これは恋愛の話ではない。おばあちゃんとコインランドリーと銭湯の話だ。
崖っぷちな平瀬川の猫とは呼ばせない
崖っぷちという言葉を初めて知ったのは週刊少年ジャンプのバスケ漫画の先駆けであるスラムダンク。
湘北高校のマネージャーを努める彩子の名言である。海南戦に惜敗を喫し、選手達を鼓舞させる為、『がけっぷち』と書いた紙を体育館の壁に貼り付けていた。
現地はここらへんです
なぜ、平瀬川と呼ばれるのか
ここは平瀬川。
川崎市宮前区水沢より流れ、川崎市高津区久地の多摩川へと合流する。こちらも静かな場所で散歩コースにはちょうど良い。どうして平瀬川と呼ばれるのかは知らない。
崖っぷちの猫
川を挟んだ向こう側の崖っぷちに猫がいるのをおわかりだろうか。
わざわざ崖っぷちを選ぶところが猫らしく自由だ。騒ぎ立ててアピールするわけでもなく、私は私の歩きたいところを行くんだよ、とでも言っているのか。
自ら不安定な斜面を
ほら、猫だ。最初と違って斜面を歩いている。草木が邪魔で斜面を選んだのか。
道路を選ばず、法面を自分が歩む道として決めた。なんと勇ましいのか。それも猫らしくて良い。そういうところが猫の好きな理由だ。歩くことに集中し、落ちないように慎重になる猫も良い。
猫を思い、やめた
私は反対側へ向かって走ろうと思った。近くで猫を見たいからそうしようと思ったけど、そうしたらもう猫は居なくなってしまうだろうし、もし私が行った時に猫が驚いて川へ落ちてしまったら、と考えたらもうやめようと思った。私は猫が好きなのである。猫の何が好きかって、見るのがすきなのだ。
ただし、私は犬を飼っている。こんなに猫記事を書いているけども。
猫を見届ける
ああ、行ってしまう。
そんな崖っぷちではなく平坦な道を歩けばいいのに。いや、それは猫が決めることだ。私が決めることではない。猫がどこを歩いていようと猫が決めたことを見守るのが猫好きの努めだ。私は見届けようではないか。
猫の向かう先へ行くと、円筒分水にぶつかる。その近くにはトンネルがあって平瀬川の源流へと続く道だ。猫にとってはこんなものは崖っぷちでもないのか。ただの“道”のひとつだ。崖っぷちと勝手に決めていたのは私だ。人間だ。
『がけっぷち』は崖の縁(へり)だ。
崖っぷちに立たされた人はそれを限界と考えてしまうのか、またはよじ登り乗り越える者もいる。
猫と彩子のおかげで色々と学ぶことができた。
そして、彩子が美人マネージャーというのは20歳を過ぎた頃に私は気付いた。高校生のマネージャーであんなドスケベなスパッツを履いた生徒は見たことも無いが。
ちなみにスパッツは和製英語なので海外では使わないようにね。あと、年齢がバレるよ。現代はレギンスと呼ぶらしい。
野川の日当り良好な椅子。私の予想は間違いないと思う
いまやゲーミングチェアと呼ばれるテレビゲームをする時の為の椅子が発売されるくらいだ。私はゲームをやらない。椅子への拘りといえば、足が組みやすい高さのものだ。そして足の組み方で好きなチャンスは、タイトスカートを履いた女性が足を組み直す時だ。正直、そんなチャンスタイムは気付いていても見れないのが現実だ。私にはそこまで勇気がない。
本日はそんな椅子について。
現地はここらへんです
コヤマドライビングスクールから見える川沿いをひたすら歩くと現地に着くよ。
住みやすい地域だよ、住んだことないけど
野川沿いの道路って穏やか。
歩行者も少ないし、時々東京都市大学の生徒達の部活動が賑やかな時に声が届くけど、そんなのは大したことはない。駅から近からず遠からずっていう中途半端なところも散歩をしている身としては良い。何が良いって引き返そうと思えばすぐ二子玉川駅だし、そういう安心感がある。
ドトールがある
この野川付近はドトール珈琲農園という店がある。
良いドトールって表現すると駅前などのドトールが悪いみたいに受け止められそうなので、弁解させてほしい。どちらも良いドトールだ。
私が言いたいのはドトール珈琲農園はこだわりがあるってことだ。
この言い方だと駅前などのドトールがこだわりが無いみたいに受け止められそうなので、弁解させてほしい。どちらもこだわりのあるドトールだ。
これ以上、弁明しても墓穴を掘るので誤解を恐れずに言う。弁明するぞ。
ドトール珈琲農園は少し金額が高いドトールだ。これだけは事実だ。
椅子と高齢者
そうだ、本日は椅子の話をするのだ。
皆さんは椅子を座っている時に姿勢が崩れた時や座位を修正する時に座り直す。それは違和感があるからだ。足を組み替えたりするのもそれだ。お尻を浮かせたりしてモジモジするやつ。時には、あれれーおしっこかウンチしたいのかなー?って誤解されるアレの動きだ。それかおねだりをする女の子の動きとでも呼ぼう。
普段、皆さんは“座り直し”というあの動きは自然とやっている。しかし、高齢になると自力で出来なくなる。特に車椅子に常に乗車している方なんかは足の力も弱まり、腕の力も衰えてくる。自力で動くことが困難になるのだ。そんな時は家族の人間が座り直しを手伝ってあげれば良い。その他は、緩衝材としてクッションを使用する。そういった工夫で床ずれは緩和される。
これだけ覚えてくれたら本日の記事は充分読んだ甲斐があったと思う椅子情報だ。
続きの話はしょうもないけど、1分間だけ時間を頂ける方は下へスクロールしてほしい。
日当りが最高の椅子
ガードレールの向こう側にチラッと見えている木材。木材はガードレールの内側だ。
どうしてこうなった。
誰の仕業なんだ。
ビニール紐でガードレールと椅子が固定されている。
拘束している写真はドキドキする。
いったい誰の仕業なんだ。川までの距離は釣りをするのもここに椅子を設置するのは遠すぎる。
日光浴としては最高だ。そして、読書をするにも最高の椅子だと私は思う。座って読んでみたいものだ。読むのはやっぱり『よつばと!』がいいな。小説なんかじゃないよ。マンガを読むんだ。小学生の頃、外で遊べ!って親に言われたときは外にゲームボーイを持ち出してポケモンをやっていた時のような感覚だ。大人はマンガを読むんだよ。
よつばと!っぽい写真
予想だけど、夏の花火大会はここが百景だと思う。こんなベストポジションはないよ。たぶん、入っちゃダメなやつだけど。
噛み合わせの悪い久地の横断歩道
「皆さん、横断歩道はしっかりと守っていますか?」
これだと横断歩道の命が狙われている話になるから訂正しよう。
「皆さん、横断歩道はしっかりと信号を守っていますか?」
これも私が伝えたい意味と少し違う。日本語は難しいからこそ丁寧にしないといけない。
「皆さん、横断歩道を渡る時は車に気をつけて渡りなはれや。」
もう、これで伝わるだろ。関西弁って便利。これは関西弁なのか。
現地はここらへんです
二子橋を渡ったら右へ曲がる。わかりやすいルート。
横断歩道は本当に気を付けるべし
冒頭は少しふざけましたが、川沿いの道路って信号が無い横断歩道が多いですよね。
しっかりと左右を確認して車が来ていないことを確認してから渡ることが大切。
しかし、沿線道路のコンビニから本線に入る車って視野が恐ろしく狭いもんでね。
ちなみにこちらの近所にローソンがあるけど、それがもう本当に視野の狭いドライバーの多さは尋常ではない。
散歩がてら、そのコンビニを利用することも多い私は「あ、これは死んだな」っていうタイミングで車線に入る車を何台も見てきた。幸いなことに本線を走る車の心遣いで事故にはならないけど、完全に事故レベルのタイミング。
時にはその心遣いをする余裕も無い。本線を走っている車のドライバーは苛つき、クラクションを鳴らしまくって激おこぷんぷん丸する者だっている。私も本線を走るドライバーの気持ちはわかる。その上、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームだ。
確認不足は日常茶飯事だ
私のことが見えていないのか、私が目の前を通過しかけているのに本線に入ろうとする車は多い。それはもうムカ着火ファイヤーだ。
「おいおい、左見たら右も見るだろ、それがどうして自分が入ろうとする車線しか確認をしないのだ。反対側から来ることも充分予測出来るだろ、それになんだ、私がフロントガラスに出てきたら驚いた顔をして。こっちが驚くわ。そんな驚いた顔を私は求めていない。左右の確認をしてほしいだけだ、そんな顔をするのではない。いや、私の顔を見て驚くとはそういう意味か。それは失礼ではないのか、せめて驚きに気付かれないくらいの反応にしてくれ。それか私が謝ることかもしれない、こんな顔をしてしまっている私の責任だ。ごめん。」
皆さん、川沿いの道路を渡る時は本当に気を付けよう。
車について書いているうちに取り乱したが、『激おこぷんぷん丸』のウィキペディアを読んでいたら落ち着いた。
新聞社や評論家が『激おこぷんぷん丸』について論じているコメントを読むと、私はまだまだだなって反省もさせられるし、勇気づけられた。大人は『激おこぷんぷん丸』について考える生き物だ。私は何に反省しているんだ。
こちらが噛み合わせの悪い横断歩道
ご覧の通り。
横断歩道を渡りきったら法面だ。河川敷へ向かうことは簡単ではない。
おおよその川沿いの道路から河川敷へ向かう横断歩道は一直線に階段があるのが通例だと思う。しかし、一度クランクしないと河川敷へ辿り着くことが出来ない。
困惑する作りになっているけど、安心してほしい。私が懇切丁寧に対策を講じたい。
横断歩道の渡り方と階段の登り方
横断歩道を渡る。
階段の前へ移動する。
階段を登る。
更に、階段を登る。
対策は以上。
土手側から見るとやっぱり噛み合わせが悪い。
横断歩道を渡るときは十分に気を付けましょう。
二子玉川緑地のベンチには少年から大人への一道が
歩くことは健康には良い。「運動したい」、「痩せたい」、という動機付けは物凄く良いと思う。目標に向けて頑張れることはいいことだ。
現地はここらへんです
何も無ければ本を読むか休む
私は何かを発見することが楽しくて歩いている。健康は後から付いてくればいいかな、と。
なので、私は何かを見つけた後は気持ちが高ぶって足早になるけど、何も無いときはベンチに座って本を読んでだらける。気の向くままってのはいいかもしれないけど、この極端さは自分でもどうにかならないかなって思う時がある。
具合の良いベンチ
まさに何も無いから座ろうとしていた。具合の良いベンチがあった。
座れない。
石だ。
石がベンチの上にある。ベンチに乗っている石。いや、石が座っている。
こちらは先客なのか。
いや、ただの石だろ。
しかし、どういうことだ。
並べられた石はどういう意図があるのか。河川敷は本当に摩訶不思議なことばかり。
ひょっとして見られてるかも
私がこのベンチに着いた時は既に誰もいなかった。
ということは私が来る前に誰かに仕組まれたのかもしれない。
石には意思がない。しょうもないことを言葉にしてしまったことをPCのキーボードで打ち込んだ後に気付いたけど、そのまま続けよう。
自ら石が動くことはないのだ。
ということは誰かが仕組んだ罠なのか。いや、罠と言ったら失礼だ。罠ではなく作戦だ。
ここに石を置いたことで困るのは誰だ。
そう、私だ。冒頭で「何も無いからベンチに座る」と書いたのを覚えているだろうか。まさにその動作をこれからしようと、これからベンチに座るぞー、って時にこれだ。
この困った様子を誰から見られているのかもしれないと考えたら、ゾッとする。辺りを見渡すが人の気配がない。
ここでほとんどの方は辺りというと東西南北を見渡すと思う。
ここは三次元だ。上を見るのを忘れていただろう。
そう、鳥類の存在だ。
鳥類か、宇宙人か、人間か、
鳥類は木屑などを集めて巣を作る。
カラスが衣類を掛けるハンガーで巣を作ることは有名だ。
この石も鳥の何かなのか、と予想した。
咄嗟に空を見上げたが何もない。
この写真を見ている方は既に気付いているだろう。
ベンチの周辺は芝生だということに。
そう、石はどこから運ばれたのかということだ。
ここは河川敷だ。川の近くまでいけば砂利がある。しかし、ここから川の淵近くまでは100m近くはある。そこそこ距離があるのに鳥がピンポイントでベンチに運んでくることは考えにくい。これはやはり宇宙人か。
以前も宇奈根にサークルがあったのを知らない方は見ていただきたい。
宇宙人は石が好きなのか。
以前も石だったし、今回も石だ。
石は宇宙に存在しない鉱物なのか。それはないと思う。隕石があるから。
そうすれば宇宙人の可能性は低くなる。
ということは、人間の仕業か。
そういえばこんなにも考えているけど、本来の目的を見失うところだった。
私はベンチに座りたかったのだ。
しかし、この石達と出会ったことで刺激的な時間を貰えた。
これはもうベンチに座らなくてもいいのではないか。何も無くベンチに向かったのにベンチで石と出会うとは。
“18”という数字について
ちなみに石の数は18個。
18は男子高校生が堂々とAVを借りに行ける年齢だ。
男性にとっては非常にゆかりのある数字。この数字を意味することはきっと男性に向けたメッセージだ。
そう、なぜならここは二子玉川緑地運動場 ピクニック広場。
子供から大人への階段はここから始まるのかもしれない。
記憶を蘇らせる丸子橋の亀
亀といえば甲羅。どうしてあんなに硬いものが皮膚に付着しているのか。人の指から爪が生えてくることに疑問を感じる人もいるはず。亀もきっと同じこと考えているんだろうな。重たいものを背負わせる運命ってどう思うんだろう。
現地はここらへんです
最寄り駅は新丸子駅。なんとなく歩いていたらここまで来てしまったので、二子玉川駅から1時間以上かかることだけは声を大にして言おう。
国民的アニメの話をしよう
亀の甲羅を背負う修行がある。約20kgほどの甲羅を背負って最終的には40kg程の甲羅を背負うという。
少年時代の長髪とつるっパゲは甲羅を背負って日常生活を送り、自分たちも気付かぬ内に成長している二人。
修行を終えて、甲羅を下ろしジャンプしてみる。
すると、物凄い飛躍して自分たちが飛んだことが本当なのか空中で不思議がる二人。
私は修行に強く憧れた幼稚園児だった。修行は凄いことなんだ、と。
修行すれば自分も高く飛べる
もしかしたら私にも物凄いジャンプ力を身につけるかもしれないと考えた。
実際には亀の甲羅なんてない。なので、当時は重いものを背負わずに自力でジャンプしまくったら高く飛べると思っていた。
膝を曲げて深くしゃがみ込み、思い切り天井に向けて飛びながら手を伸ばす。
なんとなく高く飛べた気がした。修行の成果が出た瞬間だ。
かめはめ◯も出せるかも
夕食後に家族みんなでテレビを見ている時、和室の座布団の上で胡座を組んで、目を閉じる。私は集中しているので周りの雑談、テレビの音は聞こえない。実際には聞いていないふりをしていた。
集中したつもりで気を高めていた。気が高まった瞬間に目を「カッ!」と開いて叫ぶ。
胡座を崩し、腰を深く落とす。
「××××波!!」
両腕を伸ばし、両手首をくっつけて、両手を目一杯広げる。
気功波は出ない。出ないけど、出たつもりでいる。
出ないけど、 一連の気を高めていた過程に悦に浸る。
私の中二病はここがピークだ。
あの時は何も考えてなかった
もしも本当に気功波が出ていたらどうするんだろう。
家族がテレビを見ている時に母親に向けてかめはめ波を繰り出していた。そんな時の母親は息子をどう思うんだろう。母親も気功波の意味はわかっているはず。それはそれは国民的アニメであり、現在も再び放送をしている程だ。
しかし、その時の母親の様子は覚えている。母親は笑っていなかった。素の顔で私のことを見ていた。喜びも怒りも哀しみも楽しみもない表情。
愛の反対語は無関心だ、と昔の誰かが言ってたような。
そんなことを思い出させてくれる丸子橋の亀であった。
新二子橋で黒い先端の細いものに興奮する
このまま知らないでおこうシリーズ。そういうことってたくさんある。知らぬが仏って言葉があるくらいだ。本日の記事は知らないままの熱量で書いたので知らないままでいようと思った。それだけ。というか、ほとんどの記事は妄想で出来ている。これに限らない。どうぞ。
現地はここらへんです
歩行者が多い新二子橋
新二子橋の歩道は利用者が多い。
そのため、橋の上に人が通過したのを確認してからスマホカメラで撮るように配慮している。こういう無駄記事だからこそ、撮影時などはモラルを出しておいて均衡を保たないといけないと自負している。
見上げると厳かになる説
橋は厳かだ。
橋脚の太さに頼り甲斐を感じさせる。たかだか私の体重は80kg程度だ。この新二子橋に私の身体を預けたところで、埃が乗っかったくらいの感覚だろう。
そう考えると私の80kgが軽いイメージを持ってしまいそうだが、成人男性の体重では太り過ぎの部類である。勝手に自分が良い方向へ運んだだけだ。
先端が細いものが付属している
橋の横に携えた黒色の先端が細いものを発見。
これくらいの距離だとクーピーのように見える。小学生の時に使用していたクーピーペンシルは手に汚れが付きにくいことで、私はお気に入りだった。クレヨンは手が汚れやすい。塗料が柔らかいのが要因だと思う。私は作品の質よりも自分自身の効率化を選んでしまった。
しかし、現在はクレヨンの良さもわかる気がする。クレヨンの掠れた塗り具合が好きだ。同じ箇所を重ねて塗っていくと色が濃くなるのは勿論だが、質感も変わっていく。この質感を捉えるようになったこと成長の証なのかもしれない。2Dから3Dに変わっていくようなものだ。
技術の進化に伴い、自分自身の感覚も変化していく。少しだけ自分の変化を知るきっかけになった。
寄せると危険なものに見えるかも
危険な先端にも見えてくる。
主要部に繋がっているコードが導火線のそれに見えてきそう。着火させて発射しても多摩川に着水すると思う。この新二子橋は緩やかに左カーブをしているので、危険なそれは橋に沿って飛んでいき、橋の何かしらの突起物にぶつかって多摩川へドボン。
これが仮に危険でも危険ではないことを推測しておこう。
大きなボルトにも見えるな
ボルトのギザギザに見える。もしも本当にボルトだったらこのギザギザをねじ込む時って物凄く興奮する。こんな巨大なボルトで固定させているんだったら、凄いことではないか。人の力で押し込むのか。両手でぐりぐりと回してやっている映像は面白いけど、本当に凄いと思う。
何なのかっていうのが面白い
ただ想像だけすることで興奮している。
これが何なのかは知りたいけど、知らないまま想像だけで終わらせていいことはたくさんある。その内のひとつかもしれない。深堀りはしないでそのままにしておこう。
もし、続きが気になるのならその人が記事にしてほしい。私はこの興奮をそのままにしておこう。
今のところは。
凄い。本当に何なんだろう。