二子玉川緑地のベンチには少年から大人への一道が
歩くことは健康には良い。「運動したい」、「痩せたい」、という動機付けは物凄く良いと思う。目標に向けて頑張れることはいいことだ。
現地はここらへんです
何も無ければ本を読むか休む
私は何かを発見することが楽しくて歩いている。健康は後から付いてくればいいかな、と。
なので、私は何かを見つけた後は気持ちが高ぶって足早になるけど、何も無いときはベンチに座って本を読んでだらける。気の向くままってのはいいかもしれないけど、この極端さは自分でもどうにかならないかなって思う時がある。
具合の良いベンチ
まさに何も無いから座ろうとしていた。具合の良いベンチがあった。
座れない。
石だ。
石がベンチの上にある。ベンチに乗っている石。いや、石が座っている。
こちらは先客なのか。
いや、ただの石だろ。
しかし、どういうことだ。
並べられた石はどういう意図があるのか。河川敷は本当に摩訶不思議なことばかり。
ひょっとして見られてるかも
私がこのベンチに着いた時は既に誰もいなかった。
ということは私が来る前に誰かに仕組まれたのかもしれない。
石には意思がない。しょうもないことを言葉にしてしまったことをPCのキーボードで打ち込んだ後に気付いたけど、そのまま続けよう。
自ら石が動くことはないのだ。
ということは誰かが仕組んだ罠なのか。いや、罠と言ったら失礼だ。罠ではなく作戦だ。
ここに石を置いたことで困るのは誰だ。
そう、私だ。冒頭で「何も無いからベンチに座る」と書いたのを覚えているだろうか。まさにその動作をこれからしようと、これからベンチに座るぞー、って時にこれだ。
この困った様子を誰から見られているのかもしれないと考えたら、ゾッとする。辺りを見渡すが人の気配がない。
ここでほとんどの方は辺りというと東西南北を見渡すと思う。
ここは三次元だ。上を見るのを忘れていただろう。
そう、鳥類の存在だ。
鳥類か、宇宙人か、人間か、
鳥類は木屑などを集めて巣を作る。
カラスが衣類を掛けるハンガーで巣を作ることは有名だ。
この石も鳥の何かなのか、と予想した。
咄嗟に空を見上げたが何もない。
この写真を見ている方は既に気付いているだろう。
ベンチの周辺は芝生だということに。
そう、石はどこから運ばれたのかということだ。
ここは河川敷だ。川の近くまでいけば砂利がある。しかし、ここから川の淵近くまでは100m近くはある。そこそこ距離があるのに鳥がピンポイントでベンチに運んでくることは考えにくい。これはやはり宇宙人か。
以前も宇奈根にサークルがあったのを知らない方は見ていただきたい。
宇宙人は石が好きなのか。
以前も石だったし、今回も石だ。
石は宇宙に存在しない鉱物なのか。それはないと思う。隕石があるから。
そうすれば宇宙人の可能性は低くなる。
ということは、人間の仕業か。
そういえばこんなにも考えているけど、本来の目的を見失うところだった。
私はベンチに座りたかったのだ。
しかし、この石達と出会ったことで刺激的な時間を貰えた。
これはもうベンチに座らなくてもいいのではないか。何も無くベンチに向かったのにベンチで石と出会うとは。
“18”という数字について
ちなみに石の数は18個。
18は男子高校生が堂々とAVを借りに行ける年齢だ。
男性にとっては非常にゆかりのある数字。この数字を意味することはきっと男性に向けたメッセージだ。
そう、なぜならここは二子玉川緑地運動場 ピクニック広場。
子供から大人への階段はここから始まるのかもしれない。