吞川緑道の始まりか終わりの場所で鶏の股がそよぐ
玉川通り(国道246号線)は基本的に自動車で利用することが多い。
なので、国道沿いを歩く機会って少ない。台風で田園都市線が止まった?のが5年前くらいにあった気がした。その時は玉川通りを歩いて帰ったけど、帰るのに夢中でひたすら真っすぐ前を向いて歩いていた。
本日は真っすぐ前を向かないできょろきょろした記事。
現地はここらへんです
吞川緑道の始まりか終わりか
道ってどちらが始まりなのか論争ってあると思う。正式な手続きを踏めば始点と終点を決めるんだろうけど、その時って村同士の揉め事が凄そう。この吞川緑道も揉めたのかわからないけど、そもそもどちらがどっちなのか一体どうなのか。ちなみに読み方は『のみかわ』である。
こうあってほしい『吞川』の由来(私の願望)
『吞川』の由来は川沿いに赤提灯が連なっていて、毎晩そこにはサラリーマンが多く賑わっていた。そこで酔っぱらったサラリーマンは川に誤って飛び込んでしまう。飛び込んだサラリーマンは川の水を飲んでしまう。
するとサラリーマンは、
「なんだこれは。この水はうまいぞ」
「うまい、うますぎる、みんな!この川の水は酒のようにうまいぞー!!やったー!!!ばんざーい!!!!」
そう、ただの酔っぱらいの茶番である。
※本当は飲めません。
でも、これくらい阿呆な由来だったらいいのにな、と。昔の人なんてデタラメなエピソードがたくさんあるから。いますぐに思い出せないけど。
ニワトリだと思う
車を運転している時にはここに像があるなんて気付かなかった。
ニワトリが羽根を広げているのだ。像になったニワトリだ。ニワトリの像である。動物が混じっていてややこしい文章になってしまうが漢字が違うので気を付けてほしい。私は正しいことを伝えているのだ。ニワトリが像になっているのだ。
そして、お巡りさんはあそこで待機していることを覚えておいて損は無いと思う。私は覚えた。
相場ではカラスかハトなんだけど
どうしてニワトリなんだろうか、私の経験上は都内で鳥といえばカラスかハトだ。
ニワトリの理由があるはず。ひょっとして数十年前はニワトリを飼っている家庭が多くいたのか。朝採れの卵を茹でたり、焼いたり、TKGしたり。そうだとしたら最高だ。生みたての卵が美味しいのかはわからないけど、卵が有限に出せるニワトリを飼うと愛でてしまう。
最終的に卵を産めなくなったニワトリはどうするのか。きっと食べてしまうのだろう。
そこには愛情が芽生えているはずだ。しかし、食べてしまう。人間は食べることで生きられる。「いただきます」は「命を頂きます」が語源とも言われる。何もおかしなことではない。愛情が芽生えるのも、ニワトリを食べることも当たり前の感情なのである。
そうだ、もうじきクリスマスではないか。ケンタッキー、ななチキ、ファミチキ、Lチキ、サラダチキン、今年もyoutuberが忙しい季節だ。
そして、そよぐ何か
手羽鶏を食べる時って皆さんはどうやって食べるだろうか。
私は身の厚い部分から持ち手の部分も全ての身を食べる。そして、関節部位の軟骨も食べる。軟骨はオマケだ。このオマケは食べても食べなくてもいい。オマケだから、それをどうしようと私が決めることだ。
しかし、この股の間にあるオマケは頂けない。
そよいでいる。この日は微風だった。